前回のサピエンス全史解説に引き続き、ユヴァル・ノア・ハラリの著書である「ホモ・デウス」について解説していきたいと思います。
サピエンス全史の解説は下記からどうぞ。
サピエンス全史は過去の歴史についてざっと語って、最後に考察を入れる構成でした。一方で、ホモ・デウスは歴史部分は少なく、ほとんどが未来の考察です。
突拍子もない未来というよりは、現実の延長として捉えている部分が多いため、冗長さを感じるかもしれません。ここでは、重要な部分だけピックアップして話の筋をつかめるように解説します。
飢饉と疫病と戦争
人間の歴史は、不便さの解決でした。そのため、まずは人間の脅威との戦いを学ぶことから始まります。
時代は1600年頃に遡ります。この時代において、人間と死は身近なものでした。
1600年頃においては、フランスなどで飢饉により人口の数十パーセントがいなくなることは珍しくありませんでした。
現代でもし飢饉が起こったとすると、それは自然現象ではなく政治によるものでしょう。
さらに現代では、飢饉ではなく栄養バランスにより不調が出ます。むしろ、過食でさえも問題となっています。その結果、現代では栄養失調よりも肥満で亡くなった人のほうが多く、飢饉という脅威はほぼ消えてしまっています。
昔は疫病も脅威でした。ペスト、天然痘、スペイン風邪などで現地人のほとんどが死亡したり、多くの子供が亡くなる原因となりました。
現代でもSARSなどの脅威は発生していますが、世界で犠牲者は1000人以下で抑えられています。現状の情勢を見てもわかるように、疫病という脅威を上手く対処する知見を手に入れています。
さらに言えば、現代ではこれらの疫病や疾患よりも、老衰やがんなどで亡くなる人がほとんどです。寿命が長くなっているのも、生存率が上がったことが大きく影響しています。
急な疾病により亡くなることが減ったため、高齢で発生するがんを悩みとして考えられるようになったのです。
最後の脅威は戦争です。昔は死因の数十パーセントが暴力だったのに対して、今は暴力で亡くなる人はほとんどおらず、もしそんな人がいれば大々的にニュースになるくらいです。現代ではむしろ、自殺のほうが多いという結果となっており、若い世代では死亡原因の一位が自殺となっています。
しかも、現代では戦争をすることによるメリットはほとんどありません。だからこそロシアのウクライナ侵攻は誰しもが驚いたニュースだったわけです。
現代においてテクノロジー戦争に勝ちたければ、シリコンバレーを支配するよりも、中国のように交易したほうが圧倒的に利益を得られることはご存知のとおりです。つまり、戦争がなくなると、さらに戦争を起こさないインセンティブが働き、どんどんと争いはなくなります。
今残っている戦争はテロが多く、ほとんどは発展途上国で起きています。個人のテロでは大きな影響を与えられないため、SNSなどで周りを巻き込むようにして、暴力以外の方法で大きな影響を行使しています。
環境と死
人類は、飢饉と疫病と戦争という大きな脅威から逃れる術を手に入れました。その代償として払ったものは環境でした。そのため、次は環境について悩むこととなりましたが、死が近くないため脅威としては弱いです。
では次に人間が取り組む脅威とは何でしょうか?
それは、死への恐怖です。
死は太古からの脅威ですが、避けようがないために多くの宗教で死は必須のものと捉えられてきました。ですが、現代では死は科学的な現象であることがわかってしまった以上、技術的に避けられるものとして考えられるようになりました。
人間は脅威を一つずつ潰してきた歴史から、死を逃れたいという行動も必然と言えるでしょう。ただし死は脅威である一方で、死なないことも脅威になりうるのですが。
脅威と幸せ
さて、脅威から逃れた人間は幸せになったのでしょうか?
その答えはノーです。使用エネルギーが数倍に増えたにも関わらず、我々の幸福度は上がっていません。エピクロスによると、幸福とは苦痛からの開放とのことですが、我々は既に肉体的な苦痛からは開放されています。
それにも関わらず現代人は、精神的な苦痛を生み出してさまよっています。科学によると、身体的な快楽こそが幸福といわれています。つまり、行く先は快楽に溺れるディストピアなのでしょうか?
人間が幸福を目指すかどうかはわかりません。しかし一つ言えるのは、今後も脅威を排除するための取り組みは続きます。
そしてそれは、死から逃れるための身体を拡張するテクノロジーであろうということです。一見するとヒューマノイドになってしまった人類はディストピアに思えるかもしれません。
ただ、抵抗があっても機械化の流れは止まりません。
治療と拡張に境目がないことから、弱者に適用されるために開発された技術は、健常者が利便性のために活用します。科学者は統合失調症やがんの治療のためと言うでしょうが、臓器売買が完全になくならないように、科学技術は制限しきれないのです。
資本主義というアルゴリズム
サピエンス全史の一番のトピックは、人類が嘘を信じることによる集団形成でした。これにより、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人に打ち勝ったわけです。
これは現代でも変わりません。今でも人をまとめるには、やや大げさな将来の希望など、ある程度の嘘を混ぜないといけません。そして、大衆が迎合するにはわかりやすさも重要です。
その結果として、多くの人は簡単化された話を信じ、細かい仕組みを知らずに権力者の示したアルゴリズムに沿って行動することとなります。これは、GAFAの便利なプラットフォームで手頃な娯楽を楽しんでいる我々には遠い未来ではないのです。
今までは、全体の方向を決めるのは宗教でした。サピエンス全史でも述べていたように、人類は宗教により集団の秩序を維持していました。しかし、現代では科学の発達の結果、科学的でないものはスピリチュアルと小馬鹿にされることも増えてきました。
そんな状況で私達が目指すべきは、科学と宗教の共存です。科学により論理立てて、生き方は宗教として教えます。宗教により大衆を導くのです。
宗教というと嫌悪感があるかもしれませんが、私たちの身近にある資本主義も一つの宗教といえます。ただし、資本主義と一般的な宗教の違いは、資本主義では細かい行動が定められていないことです。資本主義では集団を導くが、秩序を守ることは出来ません。
資本主義はそれぞれが分散して行動するため、共産主義に比べて急速に成長したという特徴があります。つまり、無秩序さこそが成長のカギだったということです。
このように複雑すぎて個人がすべてを管理できない社会では、一人が物事を判断して導くのは難しいです。実際のところ、行政ですら全体を見ることができず、もはや大きな改革は出来なくなっています。
無宗教で無秩序な未来と秩序だった宗教の世界、我々はそれを選ぶ必要があるのです。
自由と快楽
さらに最近の思想では、何かのルールよりも自分の快楽を優先するようになっています。
何かの宗教に属する人でも、LGBTなどマイノリティであれば信念を優先するようになりました。このような自由主義は、現代では当たり前とすら思えるかもしれません。一度流行となった共産主義や全体主義などの思想は一過性となり消えていきましたが、自由主義は強く残り続けています。
現代の私たちからすると、自由主義が一番幸せだから広がったと思うかもしれません。ただ、自由と幸せについてはきちんと考える必要があります。堕落することは幸せか、全てが自分で決められることが幸せかどうかです。
ここでは自由意志について少し考えてみましょう。
例えば、自由意志により物事を決めているとして、その欲求は自由意志に基づくのかどうかが重要です。私たちの欲求はゼロから生まれたものではありません。世の中のメディアなどで私たちの欲求は決められています。そのため、今後の科学の発展により自由意志もコントロールできるようになるかもしれません。
例えば、勉強しないといけない時に「勉強がしたくなるような薬」を使うのは自由意志でしょうか?限りない自己コントロールは私たちの思い描く自由とは少し違うのかもしれません。
行動経済学では、人間は必ずしも正しい判断をしないことを教えてくれます。つまり、人間の持つ知能と意識は異なるということです。では、人間の間違いを減らす、つまり望まない自由意志を修正してくれる科学も発展し続けるでしょう。
テクノロジーによりホモデウスになる未来
人間は間違いを犯す生き物であることから、知識に基づいた判断はコンピュータに任せたほうが良いのではないかという考えが浮かびます。
コンピュータが判断するというと、テクノロジーによる支配という印象があるかもしれませんが、これはExcelで数値計算をしたりGoogle翻訳で翻訳するのの延長線でしかありません。今までコンピュータがやってきたことを少し増やして楽をするだけです。
では、重要かつミスの多い裁判や経済のコントロールはコンピュータに任せたほうが正しい判断を下すのではないでしょうか?
また、サービス業も人の温かみが重要のようにも感じますが、本当でしょうか?人間の行動は全てアルゴリズムであり、顧客の心情を察するのもアルゴリズムで可能ではないでしょうか?
人間がAIにアドバイスを貰う状況はすでに出来ています。医療現場でもAIによる補助は増えています。
生活のアドバイスだってそうでしょう。不安定な自由意志よりも、AIのほうが本人の幸福のために正確な判断ができます。そうなれば、わざわざ人がアドバイスをもらって判断する必要はありません、仕事や恋愛のマッチングもAI同士のやり取りのほうが手っ取り早いです。
その結果、人間は集団としては労働力として価値をもたらしますが、個人の判断の価値は今までに比べてかなり小さくなります。多少の経験に基づいた判断はAIで賄えるからです。
ロボットが活用された世の中では、人海戦術すらも必要ありません。そうなれば、資本主義にとって貧困問題の解決へのモチベーションは無くなります。
生産的な人口が減ると、少数の人がほとんどの仕事を担うようになり、格差は更に広がるでしょう。その結果待ち受けるのは、少数の富豪かつ生産的な超人(ホモデウス)とその他大勢という構図です。
その結果、少数の超人(ホモデウス)に向けたサービスこそ投資対象となります。
テクノヒューマニズムは人間の身体能力を拡張する一方で、使わない器官は退化するかもしれません。例えば、古代では人間の嗅覚は鋭かったが、現代では退化しています。これから二分化されていく人間も、使わない器官はどんどん退化します。
その結果残った人類は人の形をしているのでしょうか。
もしくは、少数のホモデウスだけが人の形をしているのでしょうか。
おわりに
今回はホモデウスについて解説しました。
ホモデウスはテクノロジーに依存していく人間の未来について書かれた本です。
テクノロジーと資本主義は、人間の器官や集団形成に大きく影響を与えます。今後AIに頼れる分野が増えれば、このような未来は当然進んでいくでしょう。
ただ、問題は「いつ」来るかです。現状でも広がりの遅いテクノロジーが全てを支配するには、相当な年月がかかります。我々にできることは、未来を恐れず、自分に適したテクノロジーと上手く付き合っていくことだけです。
そして、テクノロジーは必ずしも幸福な未来を与えてはくれません。社会に流されるだけではあなたの求める幸福にはたどり着かないかもしれません。
自分の幸福を追求できるよう一度立ち止まって考えてみるのも良いかもしれません。
次作の21Lessonsについても解説しているので、そちらもどうぞ。